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松江地方裁判所 昭和31年(ワ)42号 判決 1957年12月27日

原告 黒川直枝 外一名

被告 国

訴訟代理人 西本寿喜 外三名

主文

被告は原告黒川一生に対し金一三、〇〇〇円を支払え。

原告黒川一生のその余の請求および原告黒川直枝の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

原告等は「被告は、原告黒川直枝に対し、金六四六、二〇〇円とうち金五五二、六〇〇円に対する昭和三〇年一二月四日からその弁済が終るまで年五分の割合による金員を、原告黒川一生に対し金二〇、〇〇〇円を各支払え、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として次のとおり述べた。

一、別紙目録記載の農地(以下本件農地という)は原告一生の所有であり、その実父である原告直枝が訴外山辺春市を雇入れてこれを自作していたものであるところ、昭和二三年一〇月一一日当時の島根県中条農地委員会委員梶山博等は故意に、又は少くとも事実の十分な調査を怠つた不注意によつて、右は昭和二〇年一一月二三日の基準日現在において自作農創設特別措置法(以下自創法という)第三条第五項第二号のいわゆる仮装自作にあたるものとして、その買収計画をたて、次いでその頃島根県知事はこれにもとずいて右農地を買収し、かつ右訴外山辺にこれを売渡す処分をなして各その登記も完了し、そのため原告直枝は以後その耕作ができなくなつた。

二、そこで原告直枝は前記委員会に対し、右買収計画の取消を求めて当庁に訴を提起したところ、右は仮装自作ではなく原告直枝と山辺春市との共同耕作とみるべきであるから、前記買収計画は違法であるとしてこれを取消す旨の判決が言渡され、なお広島高等裁判所松江支部において右委員会の控訴は棄却せられて、昭和二八年三月頃右判決は確定した。しかるに島根県知事は故意又は過失によつてすみやかに本件農地の返還をなさずまたその登記の抹消登記手続をも行わないので、原告一生は被告及び前記山辺に対して当庁昭和三〇年(ワ)第一〇〇号不動産登記抹消登記手続及び引渡の請求訴訟を起したところ、その準備手続進行中昭和三〇年一〇月三日附で被告は前記買収および売渡の各処分を取消し、かつその登記の抹消登記手続をしてようやく本件農地を返還した。

三、右によつて原告等の蒙つた損害は次のとおりである。

(一)  原告直枝の損害

(1)  原告直枝は本件農地において、表作として米、裏作とし小麦を生産していたのであるが、前者は年間一二俵(四八斗)、後者は年間八俵収穫することができたので、前者については昭和二四年から同三〇年までの七年間、後者については昭和二三年から同三〇年までの八年間それぞれ耕作できなかつたことにつき、原告直枝は米八四俵分(三三石六斗)、小麦六四俵分の損害を受けたことになり、米の配給価格は現在一升につき金一一〇円であり、小麦の時価は一俵につき金二、〇〇〇円であるから、その金額は前者について金三六九、六〇〇円、後者について金一二八、〇〇〇円となり、これらの合計は金四九七、六〇〇円となる。もつとも右耕作にあたつて原告直枝は年間表作裏作に各延一〇人の人夫を雇傭していたからその合計延一五〇人役の人夫賃は必要経費とみるべきであり、それは一人役金三〇〇円であるから一五〇人分の金四五、〇〇〇円は前記合計額から控除することとなるが、そうすると右の差引合計金四五二、六〇〇円は原告直枝が本件農地を耕作できなかつたことに関して生じた損害である。

(2)  次に原告直枝は本件農地の耕作によつて生計を維持していたものであるが、右のとおりその耕作の不能になるに及んで昭和二四年一〇月一七日訴外山陰合同銀行から生計費として金一〇〇、〇〇〇円を、利息日歩三銭五厘、遅延損害金日歩四銭の約で借入れた。ところが原告直枝はその返済ができず、右債務の保証人であつた島根県信用保証協会から求償権の行使として原告直枝所有の不動産につき競売手続が開始せられた。そこで原告直枝はやむなくその執行停止の申立に続いて本案の訴を提起し上訴審でも争つたが、昭和三二年六月原告敗訴の判決が確定したので右競売手続は続行されること確実である。よつて右金員に対する昭和二四年一〇月一七日から同三〇年四月一六日まで、七八月分の日歩四銭の約を月一分二厘としてその割合による遅延損害金九三、六〇〇円をあらかじめ本件の損害として請求する。

(3)  なお原告直枝は本件農地の耕作ができなかつたため、右借入金に関する事情その他によつて多大の精神的損害を受けたがそれは金一〇〇、〇〇〇円を以て慰藉されるのが相当である。

(二)  原告一生の損害

原告一生は前記当庁昭和三〇年(ワ)第一〇〇号事件について弁護士の報酬および印紙代送達費用として金一八、〇〇〇円訴提起につき弁護士と打合わせるため原告直枝が肩書居住地から松江市に赴いた旅費として金二、〇〇〇円合計金二〇、〇〇〇円を支弁し、同額の損害を蒙つた。

四、右損害は国の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて故意又は過失によつて違法に原告らに与えた損害であるから被告はその賠償をなす義務がある。

よつて原告直枝は被告に対し、右合計額六四六、二〇〇円とうち金五五二、六〇〇円に対する被告が本件農地の買収等登記の抹消登記手続をした日の翌日である昭和三〇年一二月四日からその弁済が終るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、原告一生は前記金二〇、〇〇〇円の支払を求めるため、本訴に及んだものである。

被告指定代理人等は請求棄却の判決を求め、次のとおり答弁した。

一、原告主張事実のうち、第一項は、本件農地が原告一生の所有であること、原告直枝が原告一生の実父であること、昭和二三年一〇月一一日、当時の島根県中条農地委員会が原告主張の基準日にいわゆる仮装自作地であるとして本件農地の買収計画をたてたこと、次いで島根県知事がこれにもとずいて右農地を買収して訴外山辺春市に売渡の処分をなし各その登記も完了したこと、そのため原告直枝が本件農地を耕作できなくなつたことを認め、その余を否認する。第二項は島根県知事がすみやかに本件農地を返還しなかつたことについて故意又は過失があるとの点を否認し、その余を認める。第三項および第四項はいずれも全部争う。

二、本件農地の買収および売渡処分をなすに際し、これを仮装自作地としたことについて当該公務員に故意はもちろん、過失もなかつた。

すなわち本件農地は、昭和二〇年一一月二三日の基準日現在において原告直枝と訴外山辺春市とが、ともに耕作に従事していたのであるが、それがいわゆる仮装自作にあたるか共同耕作であるかは結局その農地に対して提供される双方の労務の程度、部分等によつて決せられるデリケートな事実認定の問題であり、観方によつては反対の結論も出て来る可能性は多い。のみならず、いわゆる農地改革は当時の国策的要請により、極めて短期間のうちに多くの事件を取扱つたものであるから、これ等によれば仮装自作地としてなした本件買収計画が後に原告主張の確定判決によつて共同耕作と認定すべきであるとされたからといつて、そこにただちに過失があるとはいえない。本件買収計画は右山辺の申出によつてなされたものであるが、そのことをも考え併わせればなお更のことである。

三、次に原告等は、前記判決確定後本件農地の耕作者山辺から直接その返還を受けてこれを耕作できた筈であるから、当該公務員が本件買収等の登記の抹消登記手続をしなかつたことと原告等がこれを耕作できなかつたこととの間には何等の因果関係はない。

四、かりに以上の点が容れられないとしても、原告主張の損害額は次の点において妥当を欠く。

(一)  本件農地は昭和二〇年の風水害の結果昭和二三年ないし同二四年から全部を水田として耕作することはできなかつたのであるから同年度に本件農地が全部水田であつたことを前提とする原告等の主張は失当である。のみならず、水害後これを水田にするためには多くの労力、経費を要したから、原告等主張の収益はあがらない筈である。

(二)  本件農地附近においては裏作をしないから、裏作をしたであろうことを前提とする損害はその根拠を欠く。

(三)  本件農地は水利が悪いため他の水田に比べて二倍ないし三倍位の労力を要するから、原告主張の人夫賃は、少きに過ぎる。

(四)  本件農地附近は自家肥料でまかなわれないから肥料費は必要経費として差引くべきである。

立証<省略>

理由

昭和二三年一〇月一一日、当時の島根県中条農地委員会が本件農地は昭和二〇年一一月二三日の基準日現在において自創法第三条第五項第二号のいわゆる仮装自作地にあたるものとしてこれを買収する旨の計画を樹立したこと、原告直枝が右委員会に対してその買収計画の取消を求めて当庁に訴を提起したこと、当庁において右は原告直枝と訴外山辺春市との共同耕作とみるべきであつていわゆる仮装自作ではないから右買収計画は違法であるとしてこれを取消す旨の判決があつたこと、これに対して右委員会が広島高等裁判所松江支部へ控訴したけれども控訴棄却となり、この判決は昭和二八年三月頃確定したこと、はいずれも当事者間に争いのないところである。

原告等は、同委員会の委員梶山博等が故意に、または過失によつて右のような違法な買収計画を樹立したものであると主張するのであるが、まず故意の点について、原告直枝の本人尋問の結果のうち、右梶山は訴外山辺と近い親戚関係にあるので同訴外人に本件農地を得させるため故らそれを仮装自作地として右買収計画を樹立したものである旨の部分はにわかに措信しがたく、他に右買収計画が原告等主張の故意によつてなされたものであるという証拠はない。次にそれでは過失の点はどうかについて考えてみるのに、いつたいある農地の耕作形態がいわゆる仮装自作にあたるか共同耕作であるかは、農地の所有者と耕作の業務を担当する者との農地に対する労務等の提供の割合、収穫物の分配の方法、これ等に対する反対給付の種類、程度等によつて決せられる微妙な問題であるから、明白な事実誤認の場合とは異り、当該公務員が事実の調査を尽すことなく漫然といずれかに決定したような特別の場合を除き、ただ単に確定判決によつて違法とされたというだけの理由でこれに過失があるということはできない。成立に争いのない甲第二号証、乙第一号証、証人大野宗松、同坂本浅市、同村上昭夫、同山辺キミ、同黒川長村の各証言および弁論の全趣旨を綜合すれば、昭和二〇年の甘藷を植える頃原告直枝が訴外山辺キミに対して本件農地を耕作しないかと申し出で、その際同原告は小作料として麦を少し呉れればよいといつていたこと、それから同訴外人の夫山辺春市はこれを耕作することとなつたが、同人は同年度の小作料として大麦六斗、小麦三斗を原告直枝に交付したこと、島根県中条農地委員会が昭和二三年七月三〇日本件農地を右山辺春市の小作地として自創法第三条第一項および第二項を適用して買収計画を樹立したこと、原告一生がこれに対して即日右委員会に異議の申立をなしたところ却下されたので更に同年九月一日島根県農地委員会に訴願の申立をしたこと、これにもとずき同委員会の係員等が現地に赴いて参考人を呼んだりして事実の調査をしたこと、その結果右買収計画は取消し、他方本件農地は仮装自作地として買収すべきものであるということになつたこと、そこで中条農地委員会も三、四回にわたつて本件農地が果して仮装自作地かどうかを研究討議したこと、その後、前記買収計画は同年一〇月一一日附で取消され、本件買収計画が樹立されたこと、等がいずれも認められ、この認定を左右するに足る証拠はないから、これによつてみれば、本件買収計画を樹立した梶山博等が事実の調査を尽さなかつたとはいえず、従つて本件農地を仮装自作地としたことについて過失ありとはいい難い。

されば本件買収計画が公務員の故意又は過失によつて樹立されたものであることを前提とする原告直枝の請求は爾余の点について判断をなすまでもなく失当である。

次に、原告等は、島根県知事が前記買収計画を取消す旨の確定判決後、故意又は過失によりただちに本件農地を原告等に返還せず、また買収および売渡処分の登記の抹消登記をしなかつたから、これ等にもとずく原告等の損害は被告において賠償すべきであると主張するので、これ等の点について考えてみよう。

一、原告黒川直枝は知事が本件農地を返還しなかつたこと及び抹消登記をしなかつたことにより同原告に耕作不能の状態が続いたことを原因とする損害の賠償を求めている。

(一)  本件農地が返還されなかつたことについて。

いつたい、農地の返還なることは元の農地占有者をして農地の占有の回復を得しめること又は元の農地所有者をして農地の所有権の回復を得しめることの双方を意味するものであるが、行政処分を取消す旨の判決が確定したからといつて行政庁が先に当該行政処分により農地の占有を取得した者に対し農地の占有の移転を命じたりその者から現実に農地の占有を奪いこれを前占有者に移すような権限をも職責をも有しないことはいうまでもないから、これをしないことを違法としその責任を問うことはできないものである。次に行政庁は農地の元の所有者に農地の所有権を復帰せしめる義務があるかというのに、元来行政処分を取消す旨の判決の確定したときはその行政処分はその処分時に遡つて効力を失うものというべく、その行政処分の存在を前提として順次なされ後続の行政処分はその各処分当時において順次その前提なる先行の行政処分の存在しないのになされたことに帰するから、いずれも遡及的に、且つ、何らの行政行為をも要せずして法律上当然に効力を失い、これら行政処分により権利を失つた者は当然に権利を回復するものであつて、関係行政庁において各後続の行政処分を失効せしめるため特にその取消処分をする必要はないものと解すべきである。本件において、先行処分たる買収計画が判決により取消されその判決が確定したことにより右買収計画は遡及的に失効し、且つ、その買収計画を前提としてなされた買収処分、売渡計画、売渡処分はいずれも遡及的に、且つ何らの行政行為を要せずして法律上当然に効力を失つたものというべく、本件売渡処分により訴外山辺春市の取得した農地所有権は右判決の確定と同時に元の地主たる原告黒川一生に復帰し、原告黒川一生は所有権に基き(又原告黒川直枝が右農地につき何らかの使用権を有したとすれば、同原告はその使用権を基本とし所有権の代位行使として)直接に右山辺に対し農地引渡請求をなし得べき地位を取得したものであつて、島根県知事は原告一生をして所有権を回復せしめるため売渡処分の取消をなすべき義務はないものである。そうすると同知事において本件農地を返還しなかつたことを違法としこれによる耕作不能を原因として損害賠償を求める原告直枝の本訴請求は失当であるといわねばならない。

(二)  抹消登記がなされなかつたことについて。

同知事において買収及び売渡処分の登記の抹消手続をすることを怠つたことは後記のとおりである。しかし前記のとおり買収処分及び売渡処分が効力を失つたことにより買収及び売渡処分の登記は不実の登記となつたものであるから、右登記が抹消されずに形式上残存していたとしてもそれは所有権者たる原告一生において(又は同原告により土地使用を許された原告直枝において)右山辺に対し農地の引渡請求をするがため少しの妨げともならないものである。従つて同知事において買収及び売渡処分の登記の抹消を怠つたとしても、それが原告直枝の耕作不能による損害の原因になつているとはいえないわけで、従つて知事が登記抹消を懈怠したことを理由としては同原告は被告に対し同原告主張のような損害の賠償を求めることはできないものである。

二、審告黒川一生は同知事が抹消登記をしなかつたことによる損害の賠償を求めている。

農地買収処分及び売渡処分の登記は地方長官が職権を以てこれを嘱託すべき旨を定める自作農創設特別措置登記令(昭和二二年勅令第七九号)第三条の反面解釈により、地方長官は農地買収処分及び売渡処分が当該処分又はこれに先行する処分を取消す旨の判決の確定により失効したときは遅滞なく職権を以て右買収処分及び売渡処分による移転登記の抹消を嘱託する義務を負うものというべきである。しかるに本件において嘱託の手続の遅くなることの特別の事情の認められないのにかかわらず右取消判決確定後二年半を経過した昭和三〇年一〇月三日に至り初めて抹消の嘱託がなされたことは前記のとおりであり、これは当該行政庁において故意はなかつたとしても少くも法律上要求せられる注意を怠つたものとして過失ありといわねばならない。そして、そのため原告一生が本件農地の右登記の抹消登記手続等を求めて当庁昭和三〇年(ワ)第一〇〇号の訴を提起したことは当事者間に争いがないところ、その損害額について考えてみるのに、原告一生は弁護士報酬および印紙代、送達費用として金一八、〇〇〇円、右訴提起について弁護士に打合わせのため松江市に出向いた費用として金二、〇〇〇円の損害を蒙つたと主張するのであるが、後者は印紙代送達費用とともに訴訟費用とみるべきであり、それは民事訴訟法に規定する訴訟費用の確定決定によるべきものであるから、本訴においては請求の当否を論ずべき限りでない。しかしながら成立に争いのない甲第一八号証の一、二によれば、原告一生は右訴に関して訴外川上広蔵弁護士に対して金一三、〇〇〇円を支払つていることが認められ、弁論の全趣旨によれば、これは原告直枝の前記買収計画取消の訴の勝訴にかかわらず、島根県知事が右抹消登記の嘱託をなさないので、やむなく被告に対してその意思表示を求めるため訴を提起したことにもとずくものであり、かつ右訴は事件の性質上弁護士に依頼することが相当であると思われるので、結局原告一生の蒙つた損害というべきである。そして右に触れた登記の抹消登記の嘱託もまた公権力の行使(不行使)に該り且つその行使を怠ることとは積極的に不法な行使をする場合と同様公務員の不法行為となるものといえるから、右損害は被告の委任事務として本件農地の買収、売渡処分をなした島根県知事の不法行為によるものであり、被告にその賠償の義務があるものといわなければならない。

果してそうであれば、原告等の請求は原告一生の右金一三、〇〇〇円の範囲で正当であり、同原告の爾余の点および原告直枝の全部については不当であるからこれ等の棄却は免かれない。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条第九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 柚木淳 西俣信比古 飯原一乗)

目録<省略>

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